ムッシュかまやつさん肝臓ガンで死去。「我が良き友よ」「巨星墜つ」追悼の声相次ぐ

こんにちは。

さるです。

音楽好きの筆者には悲しいニュースが飛び込んできました。

ムッシュかまやつさんが肝臓ガンでご逝去されました。

まずは、ご冥福をお祈り致します。

クセのある愛がある音楽が好みな筆者にとって、ムッシュさんは特別な存在で、バラエティーでの強烈なキャラクターばかり最近では注目されていましたが、実はこの方は音楽的にものすごい方なんですよ。

ということで、今回の記事はムッシュさんについてまとめて見たいと思います。

昔を知る方は読む必要ございません!

是非、お若い方々に読んで頂きたいところです。

そもそもムッシュかまやつさんのご逝去のニュース自体、まだご存知ない方もいらっしゃるのかもしれないですが。。。

届くこと、そしてかまやつさんの音楽を受け継ぐ方が出てこられることを祈っております。

今回の報道内容について

グループサウンズ「ザ・スパイダース」のメンバーとして人気を集め、今尚、音楽業界の第一線にてご活躍されていた歌手のムッシュかまやつ(本名釜萢弘=かまやつ・ひろし)さんが1日午後6時5分、都内の病院にてご逝去されました。享年78。

2016年5月の検査で肝臓がんが見つかり、抗がん剤による治療を受けておりその間も仕事を続けていましたが、7月に予定していたライブは健康上の理由で延期。8月下旬に脱水症状を起こし救急搬送され、そのまま入院。9月に入院と病名を公表。10月末に退院し、その後は歌手の森山良子(69)宅に身を寄せるなどして、通院しながら治療を続けていた。

復帰に強い意欲を見せており、12月には、ザ・スパイダースでともに活躍した堺正章(70)の70歳記念ライブに飛び入りで参加。当初はステージを会場最後方で見守っていましたが、堺さんの呼びかけに応じて登壇。「しゃべりが長いね」と突っ込むなどして会場を沸かせ、ザ・スパイダースの名曲「サマー・ガール」をデュエットで披露されました。元気な様子を見せていただけに、その早すぎる死に音楽業界に限らず各業界より驚きの声が相次いでいます。

ムッシュかまやつさんとは

まさに音楽一家

日系米国人で、日本に初めてジャズを広めた、日本ジャズ界を語るに当たって欠かせない偉大な方、ジャズシンガーのティーブ釜萢さんの長男として生まれ、幼いころから米国音楽に親しみました。母方の叔母にはジャズシンガーである浅田陽子さん、浅田さんの夫、かまやつさんにとっては義理の叔父にはジャズトランペッターの森山久さん。従妹はフォークシンガー、あの「ざわわ」の森山良子さん。ですから従甥がフォークシンガーソングライターの森山直太朗さんで、おぎやはぎの小木さんの奥様、元歌手の森山奈歩さんは従姪に当たります。

まさに華麗なる一族。。。

まさに音楽漬けの生活

中学生のころには六本木のカフェやクラブでジャズを聴いていたと言いますから驚きです。筆者はまさに厨二病、中学生はUKパンクにどハマりしていました。。。この圧倒的な差はなんなんでしょう。。。

当時の一流文化人や芸能人らが集まった業界では有名なイタリアンレストラン「キャンティ」で、三島由紀夫や石原裕次郎らから刺激を受けたと言います。

高校は青山学院高等部。この時学生バンドを結成し、57年には国際劇場でプロデビュー。60年代にはかの「ザ・スパイダース」のメンバーとして活躍されます。

ザ・スパイダースとは

かまやつさんを語る上で外せない日本のグループサウンズのパイオニア。「グループ・サウンズ」という言葉に懐かしさを感じます。70年代後半に通称「GS」として大流行しました。要は今風に言えば「バンド」です。

そんなグループ・サウンズの礎を築いた存在が「ザ・スパイダース」です。

1961年に結成。ヒット曲には

「あの時君は若かった」

「いつまでもどこまでも」

「バン・バン・バン」

「ノー・ノー・ボーイ」

「フリフリ」

「なんとなくなんとなく」

などがあり、ムッシュかまやつさんは上記すべてのヒット曲の作曲、ヴォーカル、ギターを担当されていました。1970年に解散されるまで、当時の音楽の最先端であったブリティッシュ・ビートに強く影響を受けたサウンドと、かまやつさんや堺正章さんを主体に繰り広げられるコミカルなやりとりで人気グループとして君臨しました。

ファッションアイコンとしても活躍

ニット帽姿がトレードマークのかまやつさんでしたが、スパイダース時代より印象的なステージ上でのダンスやステージの服装関連といった、ザ・スパイダースの音楽だけでなくブランディングのアイディアマンとしても活躍されており、当時は若者の間でファッションアイコン的存在でした。

確かに、70歳半ばとは思えないファッションセンスですよね、よくよく考えれば。筆者の祖父とほとんど同じ年齢ですからね!笑 すげえな。笑

「ボクは、君たち世代と話が出来なくなったらおしまい」

かまやつさんの魅力を表す一言だと筆者は思っておりますが、スパーダースの解散後もかまやつさんはソロとしてご活躍されます。

ご自身の音楽の追求ももちろんですが育成にも熱心に取り組まれ、後のJ-POP文化にも多大な影響を与えました。

この言葉から分かるように常に音楽界の時代の波に乗りながら、あらゆるジャンルの若手ミュージシャンとも積極的に交流。松任谷由実、伊藤銀次、THE ALFEE、Char、小西康陽、小山田圭吾、カヒミ・カリィ、曽我部恵一など、世代もジャンルも超えた多くの日本人ミュージシャンの皆さんから尊敬されるまさにレジェンド的存在でした。「荒井由実」時代の松任谷由実(63)のデビュー曲「返事はいらない」のプロデュースも担当していたんですよ。

2009年2月18日には、井上順、今井美樹、甲斐名都、堺正章、THE ALFEE、TAROかまやつ、トータス松本、秦基博、一青窈、布袋寅泰、Micro、森山直太朗、森山良子など、超豪華なゲスト・ミュージシャンとのコラボレート・アニバーサリー・アルバム「1939~MONSIEUR(サンキュー ムッシュ)」を出されたり、2013年以降も新たにユニットを結成され活動されるなど、本当に最後まで音楽業界の発展に尽力されておりました。

逸話がたくさん

音楽界に多大な影響を与えたかまやつさんですが、数々のお茶目?な一面もございました。笑

遅刻魔で有名

かまやつさんといえば遅刻魔。笑

デビューシングル『フリフリ』のジャケットには撮影に遅刻したため、かまやつさんの姿は写っていないという逸話はファンの間ではあまりに有名です。また、堺正章さんがある時かまやつさんの遅刻に気付いてアパートに電話をかけたところ

「出た相手に『かまやつさんは出発しました』と言われたが、電話を切った後でその相手こそがかまやつだったと気付いた」

という「かまやつさんらしい」エピソードも。

ふつうであればとんでもないことですが、これが笑い話としてメンバーに語られるくらいの「公認」の遅刻癖だったようです。

ビートルズの依頼を断る

ザ・スパイダース時代には、ビートルズ日本公演の前座出演依頼を受けますが、「コンサートが見たい」という理由で辞退。

ビートルズの前座を依頼されるほどの人気ぶりもすごいですが、そんな機会を目の前に、音楽を楽しみたいという思いを優先するあたり、大物です。笑 ぼくならホイホイやっちゃいますが。。。笑

かまやつさんしか分からない「コード感」

吉田拓郎さんは共演された際にかまやつさんのギターについて「変なコードを弾く」とコメントされています。

事実、通常のコードではなく自身の手グセやテンションコードで弾いていることも多く、それがかまやつさんの魅力のひとつである。「コード感を大切にしている」と本人は語っていましたが、ちょっと周りにはよく分からないという天才ならではの逸話もございます。

本当に多くの方に愛された、天才アーティストのかまやつさんでした。

改めて、ご冥福をお祈りいたします。

第二のムッシュさんの登場に期待します!

ではでは。

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